2017年6月14日

久しぶりに巴里で1週間ほど過ごしてきました。
友人の結婚式に参加するのが主なる目的、後は巴里の空気を存分に楽しんできました。
少し前ロンドンでテロがあったばかり、厳戒態勢かと思って到着した巴里は 2年前より警官・兵士の数も少なく街ものんびりした感じを受けました。
新大統領も決まり少し落ち着いているのかもしれません。
5月末にしては日差しが強く気温も30度近くまで上がり毎日晴天でした。
そんな中フランスで生まれ育った日本人の新郎とフランス国籍の中国系カンボジア人の新婦が巴里郊外のバニョウと言う場所で結婚しました。式は朝9時に新婦の自宅で始まり新郎とその親族・友人が大きな皿に盛られた果物、お菓子、お茶などの貢物を載せて家の前から彼女の部屋まで行進して彼女を呼び出すところから始まります。
めでたく彼女が出てくると新郎と共に祭壇の前で御茶の儀式を行い先祖に結婚を伝えます。そのあとも幾つかの儀式が続き出席者はそれを見ながら子豚の丸焼きなど沢山並べられた豪華で美味しい料理を頂き祝います。
お酒も少し入って気分も盛り上がった頃に昼を迎え市役所まで全員で移動します。
車で20分ほどの所にある役所の「結婚式の間」で市長立会いの下指輪の交換と署名式が行われます。この時の市長さんの簡潔で温かいお話がとても印象的でした。
そのあと近くのシナゴラと言う東洋風のホテルで日が変わるまでパーティーが続き流石に疲れました。出席者は140人、多くは新婦の家族とその親類縁者、それに新郎の家族、友人(フランス人)達、沢山の人たちと振れ合い楽しい会でした。
新婦の家族はカンボジアのポルポト政権時の混乱からフランスへ逃避してきました。
その後苦労を重ね現在は縫製工場を経営するまでになり彼女は巴里で生まれ育ちました。
家庭の中にはカンボジア文化が残るものの新婦は激動の時代を知らぬ巴里ジャンヌです。
僕らの友人でもある新郎も両親は日本人ですが巴里生まれパリ育ちの巴里ジャン。
外見はアジア顔でも内側はフランス、彼女いわく私たちはバナナ、外見は黄色だが中は白いと言う事です。巴里にこの様な外見と中身が全く違う人が沢山暮らしています。
また新婦の御母さんの話から動乱の中家族が殺害され厳しい生活の中逃避してきた過去を聴くといつの時代も内乱・戦争の被害者になるのは庶民なのだと今欧州が抱えている難民問題を思いました。英国がユーロから離脱し米国新大統領の影響で世界は自国第一主義に傾いていますが高い壁を築いたり異人種を締め出したりしても幸せは得られない事を既に僕らは歴史から学んでいます。幸いにもオランダ、ドイツ、フランスの国民は何とか今の流れには乗らずヨーロッパ経済共同体は維持されていますがこれも難しい局面を迎えています。その中で巴里は人種・宗教の坩堝と言われるほど多種多様な人々が暮らしています。
今回ちょうどラマダンの時期でムスリムはそれほど目につきませんでしたがイスラム教徒もかなりの数が暮らしています。問題は少なくないと思いますが昔からこの街は混ざる事で独特の文化を築いてきました。この地で暮らしその栄養分で名作を残した作家は数知れません。長い歴史の中この街は色々な形で統治され変化してきました。勿論その時々で問題を抱えそれは現在も継続していますが巴里憲章にあるように「漂えど沈まず」揺れる事はあっても沈みませんでした。今回2年ぶりに訪れ改めてこの街から学ぶ事は多いと感じながら戻ってきました。

さて今年もまた新作を発表する時期が近づいてきました。昨年から続けている「水に落ちる雨の波紋」をモチーフに30点余りを制作しました。広島、東京、大阪の順で発表していきますのでお時間がございましたら見ていただきたいと思います。

笠井正博