2016年4月22日

カタストロフ

とてもひどい目に遭遇してどうしようもない時思わず口に出る「Catastrophe!」
元々は大惨事とか壊滅的な事を表す言葉でした。今回の熊本・大分大地震は正に誰も予想しなかったカタストロフィックな惨事でした。報道される画面や紙面からその揺れの大きかった事が伺え被災された方々の苦しみ悲しみの深さは計りしれません。今尚避難先で不安な生活を強いられている沢山の方々にできる事は援助寄金ぐらいしかありませんが どうかお気持ちを強く持たれて頑張っていただきたいと思います。5年前に僕等も震災を経験しています。僕等の気持も被災者と共にあります。あの時も津波の被害を受けた地方はいったいどうなるのかと思っていましたが不屈の復興力で少しずつ機能回復がなされています。ただ福島原発の事故処理はなかなか進まず未解決状態です。チェルノブイリ、スリーマイル島を例に出すまでもなく一度崩れた原発は今の人類の手には負えません。
にもかかわらず鹿児島の川内原発は動き続けています。関係の大臣や推進派の方達はまだ停止するまでの震度に達していないと発言しているようですが相手は自然です。
来る時には突然やってきて彼らの得意な想定外が起きてしまいます。
先の教訓を踏まえず幸運を頼りに運転を続けて 事が起きたら誰も責任をとれないのが原発です。
ここ数十年で大きな地震が何回も起き台風も年々ひどくなるこの国の原発 大惨事(カタストロフ)を呼び起こさないでしょうか?

数年前に熊本を訪れた際に景色の美しさと水の美味しさに驚いた事を良く覚えています。
そんな水の里が震災のために水不足で困っている様子を知り不憫で堪りません。
水は様々な物を映し人に物を考えさせます。「Reflection」は物事を深く考えるという意味ですがこの言葉には水に物を映す反射や反映の意味もあります。
此の事から水には物事の真理を照らす普遍性があるように思われます。
阿蘇山の麓に湧きでるあの美しい泉は今何を映しているのでしょうか・・・?

水面の木漏れ日を描きながら水の表情の面白さにひかれ現在は水面そのものを描いています。風が通れば細かいドレープ、雨が降れば宇宙を思わせるような同心円が描かれます。
モネやドビッシ―、ラベルなど沢山の作家が魅せられて名作を残している古典的なテーマですが僕も僕なりに唄ってみようと考えています。
来月渋谷の文化村ボックスギャラリーでそんな仕事を見ていただきたいと思っています。
お時間のある方は是非覗きに来てください!

笠井正博