1月中旬から2月に掛けてパリ経由でイスタンブールを旅してきました。
ローマ、ビザンチン、オスマン、3大帝国が都を置いた場所、さすがに全てが美しく深い街でした。ホテルをとったスルタンアフメッド地区はモスクの祈りの声、コーランで朝が始まります。ヨーグルト、蜂蜜、ドライフルーツ、リンデンバームのお茶、それに美味しいパンで朝食を済ませ街に出かけます。トラムと自動車それに歩行者が同じ道を行きかうメインストリートを横切ればスルタンアフメッドジャーミー(ブルーモスク)はすぐ目の前です。寒い中、水で足を清める人、香油で身体を清める人、横目で見ながら僕は靴だけ脱いで中に入ります。天井から降り注ぐ光に照らされて輝くモザイクのアラベスク・・・・・・
大小の円形天井が天空を回っているようで美しさに目眩がしそうです。
しばらく眺めていると宇宙の中心に自分がいるような、神の声が聞こえるような不思議な気分になってきます。偶像を信じない回教の人々の宇宙観、宗教観が少し分かったような気がします。バッハの旋律もモザイクもレペティシオン(繰り返し)の美しさに魔力があります。天体の動きも季節も人の営みも全て繰り返し、メブレヴィー教団のセマーダンスのように回っているだけです。ブルーモスクを出て向かいはアヤソフィア。
こちらもモスクですが以前はギリシャ正教の教会だった建物、あとからの征服者である回教徒がそのまま自分たちのモスクにしてしまった不思議な場所です。
キリスト教と回教が同居、混ざっています。
混ざる、雑ざる、交ざる・・・この街を歩いていると様々なものが混ざり合って出来てきたように感じます。絹の道を通って東のものが、勢力拡大の遠征で西のものがこの町に流れてきて雑ざり、混ざり、交ざって歴史の中で発酵し研ぎ澄まされ、装飾も音楽も味も香りも花も、そして人も美しくなってきたのだと思います。文化は撹拌される異質な物の混合から生まれてくるのです。
ボスボラス海峡を流れる波を見ながら今までいったいどれくらいの波がここを通り抜けて行ったのかを考えていました。水の流れは時の流れを連想させます。この波も様々なものを運び混ぜてきたはずです。トルコはヨーロッパ連合(EU)に混ざることを希望していますがこれはなかなか上手く運びません。様々な問題があるのでしょうがやはり回教が大きな問題のようです。昨今回教は世界から目の敵にされていますが、それは原理主義という頑なに純粋であろうとする一派が誤解を生んでいるからです。トルコの人々は個人個人が神と上手に契約を結びそれに従って無理なく生きているように見えました。EUの国々がトルコの参加を拒否し基督教同好会であり続ければ回教徒が更にまとまって孤立することになります。ここは上手く混ざって欲しいものです。
この旅はシナンという建築家のモスクを見たいと思ったところから始まりました。
彼はキリスト教徒でしたが時代の流れの中で回教に改宗させられました。その時に彼は「神は一人で、宗教によって違う名で呼んでいるだけだ」と考えたそうです。そしてその神の住む場所を作りたいと美しいモスクを幾つも残しました。確かに彼のモスクはどれも神の気配を感じるような美しさでした。今そこで感じてきたものを描き始めています イスタンブールの香り上手く描けたらまた皆さんに御見せできると思います。
今年は銀座・並木通りの養清堂画廊で7月に個展の予定があります。またこのページでお知らせしますので御興味のある方は是非いらしてください。ここ数日春が膨らんでいるようです。季節の動きを楽しみながら櫻を待ちましょう。
笠井正博