2006年7月18日

娘が歌の勉強にドミニカ共和国へ飛び立った後、久しぶりに茨城のアトリエでゆっくりと時を過ごしています。

雨の音を聴きながらキーボードに触れていると東京の自宅では気が付かない色々な香りを感じます。雨の香り、草の萌える香り、木の香り、薪の燃える香り、棚に乗せた果実の香り・・・。現代生活の流行は生活空間の無臭化のようですが、何も香らない空間に過ごす事は本当に楽しい事でしょうか?

香りを消して暮らしていてはせっかくの嗅覚という感覚がもったいな気がします。
嗅覚は動物の間では今も重要な感覚ですが、人間はいつの頃からか知能の発達とともにそれを重要に考えなくなりました。日本語には、刑事が犯人らしき人物に「あいつが臭い」といったり、美しい人に「色香が香る」といったり、戦いの始まる前は「きな臭い」といったりします。匂いは何か気配を感じる前兆なのです。最近の世界情勢では朝鮮半島とアラビア半島がとてもきな臭いのが心配です。さて脱線しないで香りの話に戻りましょう。

昨年から香りの存在に興味を持って描き始めています。日本には室町時代から香道という芸事が続いていて香りを楽しむ伝統があります。香りの素となる香木は日本ではほとんど産出しないのに香道がこれほど発達したのは不思議です。沈香や伽羅などの原料は東南アジアで産出する古い樹木の樹脂が長い時間の中で固まった物のようです。その樹木が生きていた頃、何らかの理由で表皮に傷が付きその表面を直すために自らの樹液で被い固めたものが地中で固まり香木となるそうです。まるで貝が体内の傷を治す時に光の珠を作るように香木は出来るのです。傷む事がきっかけで美の素が出来る、芸術に似ている気がします。香を焚いているとその深い香りの中に色々な物語を感じます。香りは僕たち人間の精神面に色々な影響を与えてくれます。香りから感じた様々な感じを僕なりに描いてみました。その始めをこの夏いくつかの画廊で見てもらいたいと思います。予定を記しておきますのでお近く方は是非ご覧ください。皆さんにも僕が感じた深い香りが感じていただけたら幸いです。暑い夏、快い香りとともにお気持ち爽やかにお過ごしください。

笠井 正博